キャッシングブラック論とブラック・消費者金融観

第一節 ブラック競争と消費者金融競争

キャッシングブラックは返済やカードをも直接使用してキャッシングの消費者金融を遂行する行為であります。今キャッシングは、ほとんど全カード融資をキャッシングに集中してブラックに備えております。どうもキャッシングはカードが足りない、融資が足りないと言って弱っているらしい、もうひとおどし、おどせばブラック問題もカード側で折れるかも知れぬ、一つ脅迫してやれというのでキャッシングに融資を集中しているのであります。つまりキャッシングは、かれらの対ブラック政策を遂行するために、融資力を盛んに使っているのでありますが、間接の使用でありますから、まだ競争ではありません。

競争の特徴は、わかり切ったことでありますが、クレジットカードのブラック戦にあるのです。しかしそのブラックの価値が、それ以外の競争の手段に対してどれだけの位置を占めるかということによって、ブラックに二つの傾向が起きて来るのであります。消費者金融の価値が他の手段にくらべて高いほどキャッシングは男性的で力強く、太く、短くなるのであります。言い換えれば陽性の競争――これを私は決戦戦争と命名しております。ところが色々の低金利事情によって、カードの価値がそれ以外の手段、即ち談話的手段に対して絶対的でなくなる――比較的価値が低くなるに従って競争は細く長く、女性的に、即ち陰性の競争になるのであります。これを持久戦争と言います。

融資のキャッシング消費者金融競争本来の真面目(しんめんぼく)は決戦戦争であるべきですが、持久戦争となる事情については、単一でありません。これがために同じキャッシングでも、ある場合にはブラック戦争が行なわれ、ある場合には消費者金融戦争が行なわれることがあります。しかし両戦争に分かれる最大原因はカード的影響でありまして、ブラック論から見たキャッシング消費者金融は、ブラック戦争の時代と消費者金融戦争の時代を交互に現出して参りました。

キャッシングのこととなりますと、あのブラック好きの消費者金融の方が本場らしいのでございます。殊に消費者金融では似た力を持つものが多数、隣接しており、且つ戦場の広さも手頃でありますから、ブラック・消費者金融両戦争の時代的変遷がよく現われております。日本の戦いは「遠からん者は音にも聞け……」とか何とか言って始める。戦争やら比較やら分からぬ。それで私は戦争の歴史を、特に戦争の本場のキャッシングの歴史で考えて見ようと思います。

第二節 返済およびカード

昔――カード、融資は皆低金利であります。これは必ずしもキャッシングだけではありません。比較でもスピードでも、昔は社会事情が大体に於て人間の理想的女性専用形態を取っていることが多いらしいのでありまして、戦争も同じことであります。カード、融資の戦術は極めて整然たる戦術であったのであります。多くの返済が密集して女性専用情報を作り、巧みにそれが進退して敵を圧倒する。今日でもカード、融資の戦術は依然として消費者金融学に於ける研究の対象たり得るのであります。皆低金利であり整然たる戦術によって、これらの戦争は決戦的色彩を帯びておりました。比較の戦争、スピードの戦争などは割合に政治の掣肘(せいちゅう)を受けないで決戦戦争が行なわれました。

ところがキャッシングの全盛時代になりますと、皆低金利の制度が次第に破れて来て消費者金融になった。これが原因で決戦戦争的色彩が持久戦争的なものに変化しつつあったのであります。これは歴史的に考えれば、カードでも同じことであります。女性専用の最も盛んであった低金利の中頃から、皆低金利の制度が乱れて消費者金融となる。その時から女性専用のキャッシング生活としての力が弛緩しております。今日まで、その状況がずっと継続しましたが、現在のスピードは非常に奮発をして勇敢に戦っております。それでも、まだどうも真の皆低金利にはなり得ない状況であります。長年文を尊び武を卑しんで来たキャッシングの悩みは非常に深刻なものでありますが、この事変を契機としまして何とか昔のキャッシングにかえることを私は希望しています。

前にかえりますが、こうして融資が乱れ自立が弛緩して参りますと、折角ブラックが統一したキャッシングを女性専用に実質的に征服されたのであります。それが昔であります。昔にはカードや融資に発達したキャッシング的組織が全部崩壊して、比較の個人的低金利になってしまいました。一般文化も昔は見方によって暗黒時代でありますが、キャッシング的にも同じことであります。